向井潤吉 1910's-1950's 民家への道

2017年4月1日(土)〜7月23日(日)


《春泥の道》[北海道留萌]1951年
                       ※地名の表記は制作時の記録に基づきます。

――私の民家への思慕執着は益々強まって、
              終生この仕事に打ちこみたいと念願している。

向井潤吉(1901-1995)の画業は、青年時代の洋画との出会いから数えれば、70余年にわたります。平成29年度の向井潤吉アトリエ館では、その画業を3期にわけてご紹介し、第1期では1910年代から1950年代までの作品にふれてまいります。

 向井潤吉は、京都の宮大工の家系に生まれ、10代半ばで絵画の道へと進みました。日本近代洋画の先駆者、浅井忠が創設した関西美術院に通い、徹底した写実表現の基礎を学びます。また、25歳で単身渡欧し、2年余りのパリ生活で同時代の美術の潮流にもふれるとともに、ルーヴル美術館での古典絵画の摸写を重ね、油彩画の技法を研究しました。帰国後、戦時中には従軍画家として中国、フィリピン、ビルマに赴き、作戦記録画の制作に従事します。戦地のただ中で、向井は現地の自然風景や、休息する兵士達の姿などもスケッチに残しました。

終戦間際、戦地から戻った向井は、自宅の防空壕に持ちこんだ蔵書のなかから、民俗学者の柳田國男、今和次郎らが手がけた『民家図集』(緑草会編、大塚巧藝社、1930-31年)を手にし、戦災で失われる家々を描き残しておきたいという思いを抱くようになりました。そして、終戦後まもない1945年の秋、長女の疎開先だった新潟県越後川口町での制作を皮切りとして、全国各地の民家を描きはじめました。「私の民家への思慕執着は益々強まって、終生この仕事に打ちこみたいと念願している」(向井潤吉『民家と風土』美術出版社、1957年)と語った、その言葉どおり、彼の民家を巡る旅は、生涯にわたって続きました。

大正から昭和。その揺れ動く時代の中で青年期を過ごし、やがて民家というモティーフへといたるまでの、向井潤吉の歩みをご覧ください。




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