向井潤吉 1960's 民家遍歴
2017年8月5日(土)〜12月3日(日)


《聚落》[山形県東田川郡朝日村田麦俣]1966年
                       ※地名の表記は制作時の記録に基づきます。


――それでも私は飽きもせず、懲りもせず心忙しく、好きな所へは何度でも、

  未見の場所には新鮮な希望をもって訪ねて行く。

 

向井潤吉(1901-1995)は、10代半ばより関西美術院にて洋画を学び、戦前には単身渡欧、戦中の従軍経験を経て、戦後より一貫して全国各地の民家を描き続けた画家です。平成29年度は、その画業を3期にわけて取り上げ、第2期にあたる本展では、1960年代の作品を中心にご紹介します。

「私の民家を扱う気持ちにも徐々と変移があった。むろん草屋根を主とする民家が興味と採集の中心目標だが、あまりに家のみに力点をおくと、何か設計図みたいな窮屈さと味気ない説明になりやすいので、むしろ家を大切にしながらも、その家をとり囲む風土風景を主とするようになってきたのである。」
向井潤吉「民家遍旅」『中央公論』1968(昭和43)年12月号

この言葉のとおり、向井潤吉にとって1960年代は、民家を見つめ、これを描く姿勢を確立していく時期だったことがわかります。いっぽう、日本の社会は新幹線、高速道路などの交通網が整備され、大都市への人口流入が続き、さらに山間部ではダム建設などの影響から、集落そのものが姿を消していきました。各地の風土や暮らしに育まれてきた民家は徐々に姿を少なくし、向井は焦燥感をいだきながら、絵具箱を背負って列島を奔走したのです。

つねに現場にイーゼルを立て、民家と向き合う“現場主義”を貫いた向井潤吉が、民家を描くことに半生をささげようと心に定め、日本の風景が変わりゆくことへの寂寥感をともないながらも、自身の画業を決定づけていったのが、この1960年代だったのでしょう。

本展では、1959年から1960年にかけてヨーロッパへ、さらに1966年に中国に旅行した際に描いた作品もご紹介いたします。




◆展覧会チラシ(表面)はコチラです(PDF645KB)◆
◆展覧会チラシ(裏面)はコチラです(PDF680KB)◆

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年間スケジュール
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