普段は知ることのできない向井潤吉アトリエ館の舞台裏を、
関係者のコメントで紹介します。
当館の命名にたずさわった元世田谷区職員による開館秘話の第2部です。
◆第2回そのA◆ 
関 義朗 (元世田谷区文化事業担当 元世田谷美術館友の会事務局長)
テーマ:「水門王居逸話」
第2回その@の続き)
 開設の主な準備は真夏の猛暑の下、汗だくの橋本善八学芸員による工事中のアトリエ館前庭に広げた膨大な作品と関連資料の調査です。その傍らで、私はいい気になって隣の冷房の利いた「水門王居」で先生と打合せです。橋本学芸員には今でも申し訳ないと思っています(?)。
 調査では火事に遭いながらも周りが焼けただけで、美しい風景(右の写真)や人物デッサンが描かれた多数のスケッチ帖や全国を巡って撮った貴重な民家の写真等が新しく発見されました。ようやく作品や資料が整理されて開館を迎えることができました。

  アトリエ館で私の実現したいサービスがありました。駒沢大学駅から暑い夏、寒い冬に長い距離を歩いて訪れる来館者の方々への無料の給茶サービスです。当時の美術館は有料のカフェかレストランでの飲食が常識でした。故に周囲からの猛反対を覚悟していましたが、意外や意外それも少なく初代分館長の田中氏と協力して実現することができました。ヒントは数年前に文化財担当に転任していた私が向井先生と先輩の板橋泰山氏を岡本公園民家園に招き、母屋の囲炉裏を囲み民家談義をしているとき、園のお手伝いの女性がお茶をサービスしてくれました。片づけは飲んだ客が流しで茶碗を洗う決まりです。

 平成5年7月10日、めでたく向井潤吉アトリエ館の開館を迎えました。前日の開館式典後の向井先生ご夫妻の安堵した笑顔は今でも忘れられません。式典後の「水門王居」でのお二人の私への労いの言葉は“カツサンド食べたか”(向井家から来賓に配られた日本橋たいめいけんのカツサンド)でした。
  さて、私の好きな向井作品は「六月の田園」です。この絵は世田谷美術館が開館するまで長らく区役所3階の廊下に展示されていました。初夏の青空、残雪の残る岩手山、清らかな水を湛えた田んぼやあぜ道から馥郁たる田舎の空気を醸し出すこの絵は、同じ階で執務する都会の垢に塗れた私の心をいつも洗ってくれていました。来庁された大勢の方々もじっと立ち止まって鑑賞されていました。開館日の午後6時の閉館前に一人の向井ファンだという若い女性が駆け込み入館し、2階から下の展示作品を見ながら、たまたま隣にいた私に“ああ来てよかった。向井先生の絵を見て今日の疲れが飛びました”と呟きました。  
 開館してから20年間、訪れた大勢の方々がこのように感動されたのだなあと思うと感無量です。改めて向井先生とご家族、携わった各位に感謝です。向井先生は奥様とともにアトリエ館に近い吉良氏ゆかりの弦巻鶴松山実相院に静かに眠っています。

 以上、郷土史をむりやり混ぜて逸話を記しました。よろしければまた弦巻や桜新町、三軒茶屋界隈の文化史を多角的にお伝えできたらと思います。第2回その@へ戻る




◆第2回その@◆「水門王居逸話」
関 義朗 (元世田谷区文化事業担当 元世田谷美術館友の会事務局長) 5月23日更新  

◆第1回◆「耐震補強工事を振り返って」
矢野進(学芸員/世田谷美術館学芸部美術担当課長/向井潤吉アトリエ館担当) 4月2日更新