普段は知ることのできない向井潤吉アトリエ館の舞台裏を、 関係者のコメントで紹介します。 第4回は、平成16年〜平成20年に当館展覧会の企画を担当した学芸員による 向井潤吉作品の取材地訪問記録を紹介いたします。 |
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◆第4回◆
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在職中は向井潤吉アトリエ館の収蔵品展を担当し、わずかな期間ではありましたが、作品や資料から一人の作家に向き合う貴重な時間をいただきました。 しかし、展覧会を企画するたびに、向井潤吉という人物の大きさ、奥深さを知り、私にはとても受け止めきれない人物で、どんな方法でこの作家にアプローチしていこうかと模索の繰り返しでした。 向井先生の描いた民家のある風景は、ほとんどが今や失われてしまっていますが、かつては確かに実在していました。それは向井先生が記録していた手記や撮影した写真資料などによって仔細にそれらの取材地まで割り出されます。また、向井先生は作品集や雑誌に取材地への旅路の思い出などを寄稿する機会も多く、作品を取り巻く時代性や風土についてより深く現場の情景を想像する手がかりを私たちに与えてくださっています。 そうした資料から、向井先生が繰り返し訪れた季節や場所があることがわかります。いわば、向井先生の「お気に入り」の季節と場所です。そのひとつに早春の武蔵野地域があります。 向井先生は埼玉県川越や東松山などへ頻繁に取材に通われ、多くの武蔵野を主題にした作品を描いています。また向井先生の自邸の庭(現在のアトリエ館)にも武蔵野の雑木林の面影を残す樹木が茂り、武蔵野は制作と生活に欠かせない存在であったことがわかります。私も展示準備や調査でアトリエ館には幾度も通っていましたが、自転車で世田谷の町を走って来てからアトリエ館の門をくぐると、がらりと一変する庭の空気に気分が一新されたことを覚えています。 |
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さて、向井先生がなぜ武蔵野に心引かれていたのか確かめるべく、作品の取材地へ赴いた事がありました。 池袋駅から伸びる東武東上線沿線の新河岸駅、川越駅あたりから終点の寄居駅までの間には、向井先生が取材のために訪れた場所が多く点在します。そのなかで《春叢》(=図版)の取材地である東松山駅周辺の「神戸(ごうど)」へ向かいました。 駅から地図を頼りに市街地を抜け都幾川(ときがわ)を渡ると一気に視界が開け、田畑の広がるのどかな光景が広がりました(参考図版《早春の水路》)。作品に描かれている茅葺き屋根の民家らしきはどこにも見当たりませんが、丘のかたち、あぜ道のうねり、雑木林の並びなどは、おそらく向井先生が取材に訪れた当時とほとんど変わりないのではないでしょうか。 すれ違う人もなく、春の日差しを受けながら田畑の間を貫く道をただただ歩き続けたひとときでしたが、実際に作家が訪れた土地を歩くことは、作品にこめられたその場の空気にわずかでも触れられたような感覚を抱きました。 そして、時折くさむらを切り拓いたような鋪装されていない小径に出会うことがありました(写真)。この先はどこにつながっているのだろうか、と少しわくわくしながら自分なりに武蔵野の風景を切り取って行きました。 作家の足跡を辿る事で気付かされた事は、景勝、名所と呼ばれる風景を言われたまま見るのではなく、自分の目で自分の風景を見つけたことだったように思います。風景は皆一様に見えているものではなく、人それぞれにうつる情景があり、それを表現していくのが作家の仕事なのかと教えられたように思います。 |
吉川さんが2007(平成19)年に展示を担当された展覧会「向井潤吉が愛でた季節 早春の武蔵野と遅春の東北」展のチラシと、展覧会当時に資料として配布していた撮影地訪問記録はコチラです。 (クリックすると拡大します) |
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展覧会「向井潤吉が愛でた季節 早春の武蔵野と遅春の東北」展チラシ |
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3ページ 4ページ 展覧会当時に資料として配布していた撮影地訪問記録 |
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