普段は知ることのできない向井潤吉アトリエ館の舞台裏を、
関係者のコメントで紹介します。
第5回は、20年前の開館準備に従事した元スタッフによる当時の思い出話を紹介します。
◆第5回◆ 
松尾 子水樹(こなぎ)(元向井潤吉アトリエ館開設準備室 アルバイト)
テーマ:「開館前夜のアトリエ館にて」
 
  開館を迎える前のほんのひと時、私はアトリエ館にアルバイトとしてお世話になっていました。
当時のアトリエ館は、新しい匂いと旧い匂いが入り混じり満ちていました。身体的に感じる新しさは、改装したピカピカの廊下や建材の匂い、スタッフの和気あいあいとした雰囲気からくるもので、橋本学芸員がひっぱるチームの笑顔や元気の良さに最初は圧倒されましたが、互いを気遣う大人の雰囲気に安心して馴染むことができ、当時、鎌倉から東急線を乗り継いで通っていた私は、ついアトリエ館の近くに引っ越してきたくなる気持になったくらいです。通勤電車の車中が冷房で寒く、降りて歩きだしても肌寒い、いつまでも雨が降り続く長い重い梅雨時のことでした。
  旧い匂いは、絵の具がこびりついたままのアトリエに沈んでいる空気、こげ茶色の柱や床材のすき間にとどまる静かなエネルギーに満ちた創造空間の近寄りがたさから感じたものです。
  画家のプライベートな閉じた空間を開いて、個人の一般の人々をお客様として迎える準備というのは、改装による目にみえる部分の変化だけではなく、空間の内側にまずスタッフが入りこみ、空間の記憶を大切にしつつ一般のお客様も受け入れていくような、空間の膜を破るように外からお客様がやってきた時に冷やっとしないように、空気の温度や質感を徐々に変えていくことだったのではと思います。

  具体的にアトリエ館での私の仕事はチェックシートをつくる準備作業で、作品の写真を撮り採寸をする手伝いをしていました。本物の作品に囲まれて緊張していましたが、けむる雨や萌える若草の作品が発する力を間近で感じ楽しくてしようがありませんでした。
  ある日の午後は、橋本さんが舟越保武作品について原稿を書いていて、側でおしゃべりをしていました。舟越作品についてどう思うかと聞かれ、それはもう一生懸命に思うことを言葉にして伝えたのですが、橋本さんは「聞いてみるもんだね」とニカっと笑い、私は素人の感想が否定されなかったことでひどく安心した心持になったことを覚えています。

 私は、アルバイト期間が3ヶ月になるかならないかくらいで、奇跡のごとく正規の学芸員として就職先が決まり、開館前夜のアトリエ館を卒業しました。当時は、さらに新しい環境で働くことに精いっぱいで、突然投げ出す事になってご迷惑をかけたアトリエ館スタッフの方たちに素直に会いに行けない言い難い気持ちでした。ごめんなさい。いまでは「アトリエ館でもっと学ぶことがあったのに。」と残念に思っています。
  これを書くために、温かくて優しいお父さん、ガッツがあるお母さんのような役割だった文化課係長と女性職員の方、元気いっぱいのアニキ橋本さんと、よく笑う女の子たちが仲間だった楽しいことばかりを思い出しました。美術館を職場にして学芸員として働き続けるのはもちろんそれほど簡単なことではなく、捨てられない矜持を見失いそうなことにもなりますが、好きな地域で暮らし、道を歩けば知り合いに会い、散歩がてらに美術館に行くことができる生活を大切に生きる姿勢に最初にあこがれたのはアトリエ館でのアルバイトのおかげです。みなさんありがとうございました。

第4回は、9月上旬を予定しています




◆第4回◆「向井潤吉の武蔵野をめぐって」
吉川(旧姓・守安)美栄(元向井潤吉アトリエ館担当学芸員)

◆第3回◆「『アトリエ館歳時記』制作当時を振り返って」
大竹恵子(色鉛筆画家、元向井潤吉アトリエ館非常勤職員)6月20日更新

◆第2回◆「水門王居逸話」その@
◆第2回◆「水門王居逸話」そのA
関 義朗 (元世田谷区文化事業担当 元世田谷美術館友の会事務局長) 5月23日更新

◆第1回◆「耐震補強工事を振り返って」
矢野進(学芸員/世田谷美術館学芸部美術担当課長/向井潤吉アトリエ館担当) 4月2日更新